きれいな字を書くセンスの話。

エッセイ

 人は誰しも、生まれ持ったセンスがある。
 特に努力したり考え込んだりしなくても、人より上手にできたり、褒められたりする能力。”才能”とも言えるかもしれないが、そこまで仰々しくない能力。

 練習しなくても逆上がりができたり、なぜか動物に好かれたり。履歴書に書けるほどの特技ではなくいけれど、”なんでみんなこんなこともできないの?”と思うようなこと。

 私にとってそれは”字をきれいに書くこと”である。幼いころから現在まで、私の半生で褒められた回数の圧倒的1位が”字のきれいさ”である。容姿や運動能力であってほしかった。無い物ねだりの最たるものだと自覚はしている。

 中学生ころまで真面目で負けず嫌いだった私は、テストの点数はおおむね良かった。だいたい90点以上だったと記憶している。でも、親はテストの点数で私を褒めたことはなかった。当然だと思っていたのか調子に乗らないようにと思っていたのかは知らないが。父とはもともと会話が少なかったし、母は自分のことも他人のこともネガティブなことばかり口にする性格ということもあり、親からまともに褒められた記憶は無い。そんな家庭で育った私がたぶん唯一、母から面と向かって言われた褒め言葉が、「あんたは本当に字がうまい」である。

 言い訳をしておくが、私は習字もボールペン字も習ったことが無い。だから筆になると全然うまくないし、赤ペン先生みたいな字は書けない(ご祝儀袋に筆ペンで自分の名前を書く位なら慣れたけれど)。それなのに、学生時代のノートとか、会社員時代のちょっとしたメモとか、何かと「字がきれいだね」と言われてきた。

 ちなみに”きれいな字”というと、先述のボールペン字講座とか赤ペン先生の字をイメージすると思うが、私の字はそういうタイプではない。なぜ褒められるのか不思議である。正直言って、大してうまくない。人って、字の上手さを褒めるハードルが低いのか?私の字を褒めた人はいろんな人に「字がきれいですね」って言っているのか?と思うこともある。

 一方、私は他人の字の造形をあまり気にしていない。気にしていないというのは見ていないわけではなく、容姿と同じで、人によって異なっていて、好みはあっても優劣はないと思っている。顔を見分けるように、誰が書いた字か当てるのは結構得意である。あと、書いた本人以外読めないような特徴的な字を読めたりもする。だから、「字が下手なのがコンプレックスだ」と言っている人がいると、”そんなこと気にしなくていいのに…”と思う。私にとっては”そんなこと”だけれど、本気で悩んでいる人もいることを考えると、苦労せずに褒められる字を書けるというのはありがたい才能だと思うようにしている。
 これこそまさに、自覚していないのにできてしまう、センスの良さなのである。

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